《Treasure Cruise/宝船の巡航》
2015年5月3日 Mtg考察Treasure Cruise / 宝船の巡航 (7)(青)
ソーサリー探査(この呪文を唱える段階であなたがあなたの墓地から追放した各カードは、(1)を支払う。)
カードを3枚引く。
久しぶりです。MUD/STAXです。
実は日記を書いたり、消したりしていたのですが、気づいた方はほんのごくわずかでしょう。
理由があり、ほとんどVintage以外のMagic;the Gatheringをしていませんでした。
むしろ、避けていたのかもしれません。
理由は上記のカード。「Treasure Cruise/宝船の巡航」。
一つ前の日記(http://battlecruiser.diarynote.jp/201412281642183971/)にもある内容は《Treasure Cruise/宝船の巡航》とそれを使用する(していた)プレイヤーに対して書いた言葉であった。
削除した日記の内容は《Treasure Cruise/宝船の巡航》によりVintageでなく、他の環境を破壊してしまう可能性を非常に辛辣な言葉で批判するものであった。あまりに一方的な意見であると判断したため、削除することとした。
ひと段落した今なら少しは意見をしてもいいと思い、日記を書いた。
今一度問いたい。
《Treasure Cruise/宝船の巡航》を4枚投入する構築に、貴方は疑問を持ちませんでしたか?
そして、《Treasure Cruise/宝船の巡航》はキープ基準やプレイングすらも変化させるカードであると気づいて使用していましたか?
勝ち負けも大切。
結果も大切。
しかし、その前に一人の社会人であるべきであるのではないか?
お互いが礼節を重んじ、相手に不快な思いを与え無いように気を配ることでMagic:the Gatheringをより楽しむことができる。
皆さんが快適なプレイをできることをお祈りしております。
結果も大切。
しかし、その前に一人の社会人であるべきであるのではないか?
お互いが礼節を重んじ、相手に不快な思いを与え無いように気を配ることでMagic:the Gatheringをより楽しむことができる。
皆さんが快適なプレイをできることをお祈りしております。
多くの人にとって、Magic;the Gatheringは趣味であることが多い。
趣味とは、あるときは気分転換、あるときはコミュニケーションツールになり得るものであると個人的には思っている。
昨今の一部のカードの値上がり具合は凄まじい。
一年前には考えられなかった値段がついていつものもある。
はっきり言ってカードの値段の上下は誰にもわからない。
「そろそろ下がる」や「これ以上は上がらない」などという言葉は何を根拠に言っているのだろうか?
本人の希望的観測を含めた意見としか取れないものもある。
ネットの世界では、ただ個人的な意見や感情で物事の捉え方を言う人間が少なからずいる。最終的に判断するのは自分だ。ということは基本であり、最重要事項だ。
なお、自分の意見としては、「直接場に出すカード」。この類のカードは早めに抑えておいたほうがいいと思っている。
意見を発信するのもいいが、他人を不愉快にさせるようなものはなるべく慎むべきであるだろう。
趣味で生活や、人間関係が壊れることはないことが望ましいのではないだろうか?
パズドラ関係
ディオス、べオーグのスキル上げ完了。
そろそろ惰性である。
趣味とは、あるときは気分転換、あるときはコミュニケーションツールになり得るものであると個人的には思っている。
昨今の一部のカードの値上がり具合は凄まじい。
一年前には考えられなかった値段がついていつものもある。
はっきり言ってカードの値段の上下は誰にもわからない。
「そろそろ下がる」や「これ以上は上がらない」などという言葉は何を根拠に言っているのだろうか?
本人の希望的観測を含めた意見としか取れないものもある。
ネットの世界では、ただ個人的な意見や感情で物事の捉え方を言う人間が少なからずいる。最終的に判断するのは自分だ。ということは基本であり、最重要事項だ。
なお、自分の意見としては、「直接場に出すカード」。この類のカードは早めに抑えておいたほうがいいと思っている。
意見を発信するのもいいが、他人を不愉快にさせるようなものはなるべく慎むべきであるだろう。
趣味で生活や、人間関係が壊れることはないことが望ましいのではないだろうか?
パズドラ関係
ディオス、べオーグのスキル上げ完了。
そろそろ惰性である。
矛盾した環境設定 -Battle of the Banned-
2013年4月4日 Mtg考察 コメント (5)※以下はこの環境設定に関する個人的な意見であり、プレイヤーに対しては全く関係がありません※
巷では騒がれている非公式フォーマット。
はっきり言って、意味不明なフォーマットだ。大体、条件が理解に苦しむ。
なぜ、すべての禁止カードが解除されずにAntiquitiesよりも後なのだろうか?
結局、Antiquities以前のカードを禁止しているのと変わらない。
この環境が壊れることを恐れてAntiquities以前のカードを禁止している、という根拠であるのなら意味不明だ。大体において、禁止カードとはそれらの横行によりデッキの幅を狭め、つまらなくしてしまうカードである。つまり、新旧を問わずゲームバランスを崩してしまうため設定されている。言い換えれば禁止カードを時代やエキスパンジョンで区別することはできないはずだ。それらを解禁しても健全なゲームバランスとなるなら、すぐにそれらのカードの禁止を撤廃するべきだ。Antiquities以前の禁止カードを特別視する理由などない。
いずれはこのフォーマットでも強すぎて環境を支配するカード(=普段なら禁止措置となるカード)が登場することだろう。禁止カードを解除すると言っておきながら、禁止を設定するわけだ。矛盾している。逆に、そういったことができないのであれば、この環境は特定のアーキタイプに支配され続けるつまらない環境になるということになる。もし、バランスが取れていたら禁止カードが出ないのではないか?といった意見もあるかもしれない。仮にそうなるとしたら、レガシーで禁止解除すればいいだけの話であり、このフォーマットは必要ない。
ただ、今まで「禁止カード」というレッテルを張られて使われていなかったカード群が使われ始め、Magic;the Gatheringの違う楽しみ方を発見できるという点では素晴らしいといえそうだ。
禁止カードが「何故禁止になっているのか?」を理解できていないプレイヤーになっていないだろうか?
巷では騒がれている非公式フォーマット。
はっきり言って、意味不明なフォーマットだ。大体、条件が理解に苦しむ。
なぜ、すべての禁止カードが解除されずにAntiquitiesよりも後なのだろうか?
結局、Antiquities以前のカードを禁止しているのと変わらない。
この環境が壊れることを恐れてAntiquities以前のカードを禁止している、という根拠であるのなら意味不明だ。大体において、禁止カードとはそれらの横行によりデッキの幅を狭め、つまらなくしてしまうカードである。つまり、新旧を問わずゲームバランスを崩してしまうため設定されている。言い換えれば禁止カードを時代やエキスパンジョンで区別することはできないはずだ。それらを解禁しても健全なゲームバランスとなるなら、すぐにそれらのカードの禁止を撤廃するべきだ。Antiquities以前の禁止カードを特別視する理由などない。
いずれはこのフォーマットでも強すぎて環境を支配するカード(=普段なら禁止措置となるカード)が登場することだろう。禁止カードを解除すると言っておきながら、禁止を設定するわけだ。矛盾している。逆に、そういったことができないのであれば、この環境は特定のアーキタイプに支配され続けるつまらない環境になるということになる。もし、バランスが取れていたら禁止カードが出ないのではないか?といった意見もあるかもしれない。仮にそうなるとしたら、レガシーで禁止解除すればいいだけの話であり、このフォーマットは必要ない。
ただ、今まで「禁止カード」というレッテルを張られて使われていなかったカード群が使われ始め、Magic;the Gatheringの違う楽しみ方を発見できるという点では素晴らしいといえそうだ。
禁止カードが「何故禁止になっているのか?」を理解できていないプレイヤーになっていないだろうか?
GTC リミテッドに関して@横浜
2013年3月1日 Mtg考察※リミテッドとは縁のない一個人の意見です。
今年はシールドらしい。
つまり、運の要素が強くなる。人によってはまともなデッキを組むことができず、Magic;the Gatheringを楽しめなくなることも。
個人的には除去が少ないと踏んだ場合、以下のカラーに注目している。
①グルール
②ディミーア
結果は出るまで分からないが。
グル―ルの持つキーワード能力がリミテッド環境、つまりシールド・ドラフトで非常に重要な役割を理解しているかどうかが今回の環境のカギになると思っている。
参加者は頑張ってください。
今年はシールドらしい。
つまり、運の要素が強くなる。人によってはまともなデッキを組むことができず、Magic;the Gatheringを楽しめなくなることも。
個人的には除去が少ないと踏んだ場合、以下のカラーに注目している。
①グルール
②ディミーア
結果は出るまで分からないが。
グル―ルの持つキーワード能力がリミテッド環境、つまりシールド・ドラフトで非常に重要な役割を理解しているかどうかが今回の環境のカギになると思っている。
参加者は頑張ってください。
《Mana Crypt》とドラフト ―強いデッキ構築
2013年2月15日 Mtg考察《Mana Crypt》。
統率者戦の普及に伴って一般にみられるようになったアーティファクト。
一般に、その強力なマナ加速から序盤に出せれば多大なアドバンテージを得られる。
いわゆる「タダツヨ」といわれるカードの一つだろう。
しかし、正確には「タダツヨ」のカードは存在しないといっていい。
重要なのは、「なぜ強いか」だ。
《Mana Crypt》がなぜ強力無比なカードであるかを理解して使用している統率者(EDH)プレイヤーが何人いるだろうか?
→Vintageでも同じことが言えるかもしれない。
その思考を止めた途端、「強い」デッキ構築はできなくなる。
その場でカードを選別し、デッキを構築するドラフトにも同じことが言えるだろう。
「決め打ち」(=場に応じてピックしない)という言葉は、「なぜ強いか」という思考を完全に否定するものである。従って、「勝つことを目的としたドラフト」では出るはずのない言葉なのだが、最近耳にするのはなぜだろう?
統率者戦の普及に伴って一般にみられるようになったアーティファクト。
一般に、その強力なマナ加速から序盤に出せれば多大なアドバンテージを得られる。
いわゆる「タダツヨ」といわれるカードの一つだろう。
しかし、正確には「タダツヨ」のカードは存在しないといっていい。
重要なのは、「なぜ強いか」だ。
《Mana Crypt》がなぜ強力無比なカードであるかを理解して使用している統率者(EDH)プレイヤーが何人いるだろうか?
→Vintageでも同じことが言えるかもしれない。
その思考を止めた途端、「強い」デッキ構築はできなくなる。
その場でカードを選別し、デッキを構築するドラフトにも同じことが言えるだろう。
「決め打ち」(=場に応じてピックしない)という言葉は、「なぜ強いか」という思考を完全に否定するものである。従って、「勝つことを目的としたドラフト」では出るはずのない言葉なのだが、最近耳にするのはなぜだろう?
M13のシールド環境
2012年7月16日 Mtg考察 コメント (2)Tricks of the Trade / 商売の秘訣 (3)(青)
エンチャント — オーラ(Aura)
エンチャント(クリーチャー)
エンチャントされているクリーチャーは+2/+0の修整を受けるとともにブロックされない。
コアさんにつきあっていただき、M13×6でシールドをした。
自分はこの環境ではまだ一回しかやったことがないのであまり多くは伝えられないが、自分の感想を書こうと思う。
☆《商売の秘訣/Tricks of the Trade》が異常な強さを誇る
☆一部のコモンカードを除けば、アンコモン以上のカードにより支配され、コモンカードの重要性が非常に低い
以上のような感じだ。
他に好感触を受けたコモンカードとしては《硬化/Encrust》がある。
まず、
☆《商売の秘訣/Tricks of the Trade》が異常な強さを誇る
これに関してはコアさんも書いてあるが、呪禁の生物につけるだけでeasy win。
呪禁でなくても十分勝てる。
次に、
☆一部のコモンカードを除けば、アンコモン以上のカードにより支配され、コモンカードの重要性が非常に低い であるが、
世間で騒がれている《スラーグ牙/Thragtusk》を始め、あまりにコモンカードとの差がありすぎるように感じる。
これ以上のクリーチャーインフレが続いた場合、Magic:the Gatheringはどうなるのだろうか?
Sol Ringと勝てるジェネラル@統率者戦(EDH)
2012年7月13日 Mtg考察 コメント (3)Sol Ring / 太陽の指輪 (1)
アーティファクト
(T):あなたのマナ・プールに(2)を加える。
お手軽価格で入手できたため、ついに各デッキに投入。
「統率者(ジェネラル)」という常に唱えるカードのある統率者戦では強力無比の一言に尽きる。
それと同時に、《Sol Ring / 太陽の指輪》を序盤に出してマナ加速しておきながら
「このデッキはそんなにやばいデッキじゃないんだ」
と言っているプレイヤーに対して非常に大きな疑問を改めて認識した。
そして、残念ながらそういう人間は少なくないのが現状だろう。
冗談であると信じたいが、どうも真面目に言ってる人がいるような気がしてならない。
はっきり言って、ある程度回ったカジュアルなデッキの方が事故った「勝ちを目的としたデッキ」よりも強い。
Magic:the Gateringをやっている人なら解るだろう。
「強いジェネラル」を使って、勝つことは簡単ではない。
そのデッキを回すだけの技量が必要なことを忘れてはならない。
強いデッキで勝つ、当たり前のようで難しい。
ジェネラルがただ単に、勝てない時、負けた時の言い訳になっていないだろうか?
ジェネラルを言い訳に使うくらいなら、そのジェネラルを使わなければいい。
統率者線は統率者(ジェネラル)を利用できたほうがより良いが、使わなくても十分通用するデッキにすることは不可能ではない。
現に、ジェネラルをまったく機能させなくても勝てるデッキは存在する。
なのに、ジェネラルを言い訳にするなど全くもって見苦しい。
上記にあげたような行動をとる人は、多分何かあった時に「そういう言動をする人間」なのだろう。
なんでも周りのせいにしたり、不可抗力のように言う人間に自分はなりたくない。
出たのは《引き裂かれし永劫、エムラクール/Emrakul, the Aeons Torn》やら《真実の解体者、コジレック/Kozilek, Butcher of Truth》など。
他のレアもまずまずだったが、《夢石の面晶体/Dreamstone Hedron》が一番嬉しかったりする(笑)
ところで、《引き裂かれし永劫、エムラクール/Emrakul, the Aeons Torn》が統率者戦でデッキに入れられない理由は解るのだが、
ジェネラルにしてはいけない理由はなんなのだろう?
デッキ内にあると往々にして「お手軽《Time Walk》製造装置」の材料となりうるため、原因は解る。
しかし、
「ジェネラルなら許されるのでは?」と最近思ってしまう。
まぁ、危険なことはよくよくわかるのだが。
実際、《真実の解体者、コジレック/Kozilek, Butcher of Truth》を作っていくらか回しているのだが、他のジェネラル全員を撲殺することも稀ではない。
それを考えるとやはりダメなのだろうか。
だが、無色デッキである以上他のデッキと比べてハンデがあるわけだし、そのくらいは許容されても・・・と思う気持ちはある。
後は環境次第ということだろうか。
単体除去に頼った環境では《引き裂かれし永劫、エムラクール/Emrakul, the Aeons Torn》など止める術が皆無に等しい。
しかし、全体除去やその他に布告系除去等がバランス良く揃った環境においてはそうでもない。
→実際、自分が使ってたときにはそうでもなかった。
それでも、出てしまえば決して弱いとは言えず、むしろ誰か一人を確実に敗北させていたことがよくあった気がする。
→そう考えるとやはり禁止??
解禁されないかと期待して《真実の解体者、コジレック/Kozilek, Butcher of Truth》をプレイしています。
他のレアもまずまずだったが、《夢石の面晶体/Dreamstone Hedron》が一番嬉しかったりする(笑)
ところで、《引き裂かれし永劫、エムラクール/Emrakul, the Aeons Torn》が統率者戦でデッキに入れられない理由は解るのだが、
ジェネラルにしてはいけない理由はなんなのだろう?
デッキ内にあると往々にして「お手軽《Time Walk》製造装置」の材料となりうるため、原因は解る。
しかし、
「ジェネラルなら許されるのでは?」と最近思ってしまう。
まぁ、危険なことはよくよくわかるのだが。
実際、《真実の解体者、コジレック/Kozilek, Butcher of Truth》を作っていくらか回しているのだが、他のジェネラル全員を撲殺することも稀ではない。
それを考えるとやはりダメなのだろうか。
だが、無色デッキである以上他のデッキと比べてハンデがあるわけだし、そのくらいは許容されても・・・と思う気持ちはある。
後は環境次第ということだろうか。
単体除去に頼った環境では《引き裂かれし永劫、エムラクール/Emrakul, the Aeons Torn》など止める術が皆無に等しい。
しかし、全体除去やその他に布告系除去等がバランス良く揃った環境においてはそうでもない。
→実際、自分が使ってたときにはそうでもなかった。
それでも、出てしまえば決して弱いとは言えず、むしろ誰か一人を確実に敗北させていたことがよくあった気がする。
→そう考えるとやはり禁止??
解禁されないかと期待して《真実の解体者、コジレック/Kozilek, Butcher of Truth》をプレイしています。
《魂の洞窟/Cavern of Souls》に対する感想
2012年5月5日 Mtg考察 コメント (6)Cavern of Souls / 魂の洞窟
土地
魂の洞窟が戦場に出るに際し、クリーチャー・タイプを1つ選ぶ。
(T):あなたのマナ・プールに(1)を加える。
(T):あなたのマナ・プールに好きな色1色のマナ1点を加える。このマナは、選ばれたタイプのクリーチャー呪文を唱えるためにのみ使用でき、その呪文は打ち消されない。
当初、自分は普通に無色マナが出ることを知らずどうしてここまで騒がれるのかに苦しんでしまった・・・
クリーチャータイプが揃っているデッキなら強力無比な土地であるだろう。
しかも、無色マナが出るので腐らない。
確かに強力なカードだ。
だが、自分としては「そこまで騒がれるカード」であるとは思えない。
「青い奇跡」こと《時間の熟達/Temporal Mastery》よりは期待できると思っているが。
何故、そのように感じてしまうのか?
自分がやっている環境がLegacyやVintageというのも影響があるのかもしれない。
「環境」の他にも、《魂の洞窟/Cavern of Souls》の世間一般の評価に対して納得できない理由がある。
ただ単に「すごいカード」と言われているだけで、どのように使われれば強いのかが明確でないような気がするのだ。
この土地が必要なデッキということは、
「シングルシンボルの非クリーチャー呪文」と「多色クリーチャー」のデッキであり、更に「クリーチャータイプが揃っている」というデッキになる。そして、打ち消し耐性だ。
繰り返しになるが、羅列すると、
「シングルシンボルの非クリーチャー呪文」
「多色クリーチャー」
「クリーチャータイプが揃っている」
+α(打ち消し耐性)
こんなデッキあるか?
と聞かれると自分は自信をもって答えられるデッキは非常に少ない。
エルフ?
色は緑で殆ど揃っているようなものだし・・・
ゴブリン?
確かにアリだが、多くの場合はDual Landsで十分な場合が多い。
上に挙げたデッキにあったら強いが、なくても事足りると思う。
そして、《魂の洞窟/Cavern of Souls》をいれた場合のメリットだけでなく、デメリットも考えなくてはならないだろう。
エルフなら《垣間見る自然/Glimpse of Nature》をバックアップできないし、ゴブリンの場合は《巣穴の運命支配/Warren Weirding》のキャストや《宝石の手の焼却者/Gempalm Incinerator》のサイクリングをする際の色マナを支払えない。
これらは結構な痛手だ。
Merverickってそもそもクリーチャータイプ揃っていたのか?
「人間」指定なら《ルーンの母/Mother of Runes 》、《貴族の教主/Noble Hierarch 》そして《聖遺の騎士/Knight of the Reliquary 》が該当するが、《聖遺の騎士/Knight of the Reliquary 》との相性を考えると、普通に《平地/Plane》や《森/Forest》の方が良いのではないだろうか?
自分が知らないだけかもしれないが、どうしても既存のデッキに対してはDual Landsの方がいい場合が多いように思えてならない。
むしろ、入れるスペースあるのか?
と言いたくなってきてしまう。
(スタンなどは知りません)
最近、新セットが発売される度にこういったカードが出てくる機会が多くなってきたように感じた。
自分で考え、行動することは自分で生きていくための基本的な事柄であると思う。
だが、他人の情報から判断が必要であったり、参考にしなくてはならない場合もある。
それでも、自分で考えることは必要なのではないだろうか?
周りの意見に付和雷同し、「どのカードが・・・」と適当に発言したり煽ったりすることは避けたほうが良いと思う。
そういったことを繰り返していると、自分でも気がつかないうちに他人や周りの評価を中心に動いてしまう人間になりかねない。
勿論、自分でしっかりと考えた末の意見だったらなんの問題もない。
最近で言えば、《墓掘りの檻/Grafdigger’s Cage》での教訓は活かされているのだろうか?
新キーワード「奇跡」に対する対抗策は?
2012年4月14日 Mtg考察 コメント (2)Thought Scour / 思考掃き (青)
インスタント
プレイヤー1人を対象とする。そのプレイヤーは、自分のライブラリーの一番上から2枚のカードを自分の墓地に置く。
カードを1枚引く。
「奇跡」を最大限に活用するには意図的にライブラリー操作をする必要がある。
そのような場合に関して考えてみた。
新キーワード「奇跡」が流行った場合、青いデッキの最終兵器になると考えているカード。
各種教示者を無効化できるため、Vintageでも使えないかと思っているが、やはり《定業/Preodain》などと比べると参照できるカードの枚数がネックとなり、実用レベルではなくたっているのが現状だろう。
しかし、その効果自体は決して弱くはない。
実は、《思考掃き/Thought Scour》は「奇跡」の登場を見越してのデザインだったのかもしれないと思う。
ちなみに、リミテッドやスタンダード等で青が使用できない場合、《グールの呼び鈴》なんか手軽で良いと思う。
尤も、《グールの呼び鈴》が採用されるほどこのキーワードが環境を席巻することは稀であると思うし、そのような環境になってはならないと思うが。
上記の二枚が環境を考えると比較的現実的なのでは無いだろうか?
勿論、他にも色々あると思う。
※この記事は「miracle版《Time Walk》」がいわゆる偽物でない場合のことを考えて書いています。
※考えを強要するつもりはありません。
周知の通り新たなキーワード能力が追加された。
miracle。
そして、その代替コストで唱えることにより、かのPower9である《Time Walk》と同様のコストパフォーマンスを誇るカードが登場した。
ネットを中心として見てみるとこのカードの登場により、様々なドローカードやサーチカードの価値に影響が出ると考えている人が多いようだ。
先に自分の結論を言おう。
「強くはない」
これが自分が至った結論だ。
むろん、弱いとは言い切れない。しかし、どちらかと言ったら弱い部類にも入りかねないだろう。
→専用のデッキが登場すればこの限りではないし、単純に2マナのターンアドバンテージは強力無比だ。
加えて、ここまでこのカードが過大評価される背景には《Time Walk》の強力な部分だけが独り歩きしていると言わざるを得ないと思う。
そして、それらの評価に流されてしまっている人も少なからずいるということだろう。
これは残念なことだと思う。
だが、それらの人たちが全部悪いかと言われれば、そうではないと思う。
自分の見解では、このカードをキーワード能力「miracle」で使用するためにはライブラリートップに持ってくる必要があり、それこそがネックになると考えている。
この弱点は言い換えれば、「このカードを《Time Walk》として唱えるためにはいわゆるトップデッキを除いてカード一枚+α(αは多くの場合1ターンに相当)の投資が必要である」ということだ。
具体例を出そう。
まず、このカードを2ターン目に唱えるとしよう。
そうするとおおよそは下記のような流れになるのではないだろうか?
1ターン目:土地をセット→ドロー又はサーチ系で詰め込む。
2ターン目:土地をセット→唱える
ここで問題。
もし、追加のターンで土地をセットできなかったらどうなるか?
殆ど2マナ1ドローだ。(土地がアンタップするという点ではいくらかマシだが)
自分だったら《火+氷/Fire+Ice》で氷のモードの方を唱える。
ちなみに、上記のように土地をセットできなかった場合にもう一つ大きな欠点があるのことを認識していなければならない。
それはもう書いた。
もうわかっている人もいるのではないだろうか?
そう、ドロー又はサーチ系を使用している。
つまり、カード一枚を消費しているのだ。
ひどい時には1ターンをも無駄にしてしまう可能性もある。
こんなんだったら《ミューズの囁き/Whisper of the Muse》の方が良い。
3ターン目に唱えようと、この弱点は変わらない。
軽減できるのは《師範の占い独楽/Sensei’s Divining Top》くらいか。
それでも、トップの順番を変えるため、①マナは失われる。
→この問題点を解決するには土地を多めにすればよいのではないか?
確かにそうだ。
しかし、土地を入れると他のカードが減る。
その上、サーチカードや《師範の占い独楽/Sensei’s Divining Top》といったらライブラリー操作カードを搭載しなければならない。
miracleコストで唱えるためにここまでする価値はあるのだろうか?
そもそも、現在のLegacy環境における多くのデッキがこのカードが入るスロットはあるのだろうか?
何を抜くのか?
ちなみに《Force of Will》は代替コストをもつが、それ以上にある程度素打ちが可能なカードであるから強い。
「miracle版《Time Walk》」はどうだろうか?
普通に唱えられるか?
以上のように欠点だけを述べる形になってしまったが、発掘がDredgeを生み出したように、全てmiracleをもったデッキなどで使用すれば十分使えるデッキが出る可能性も否定できないと思う。
今後の動向に期待したい。
最後に、「《Time Walk》がなぜ強いか?」ということを改めて考えるべきではないかと自分は思う。
今回の騒動は《Time Walk》の名前と印象の独り歩きを如実に表しているのではないだろうか?
そして、Vintageはそのようなカードが多いように感じる。
※考えを強要するつもりはありません。
Time Walk (1)(青)
ソーサリー
あなたは、このターンに続いて追加の1ターンを行う。
周知の通り新たなキーワード能力が追加された。
miracle。
そして、その代替コストで唱えることにより、かのPower9である《Time Walk》と同様のコストパフォーマンスを誇るカードが登場した。
ネットを中心として見てみるとこのカードの登場により、様々なドローカードやサーチカードの価値に影響が出ると考えている人が多いようだ。
先に自分の結論を言おう。
「強くはない」
これが自分が至った結論だ。
むろん、弱いとは言い切れない。しかし、どちらかと言ったら弱い部類にも入りかねないだろう。
→専用のデッキが登場すればこの限りではないし、単純に2マナのターンアドバンテージは強力無比だ。
加えて、ここまでこのカードが過大評価される背景には《Time Walk》の強力な部分だけが独り歩きしていると言わざるを得ないと思う。
そして、それらの評価に流されてしまっている人も少なからずいるということだろう。
これは残念なことだと思う。
だが、それらの人たちが全部悪いかと言われれば、そうではないと思う。
自分の見解では、このカードをキーワード能力「miracle」で使用するためにはライブラリートップに持ってくる必要があり、それこそがネックになると考えている。
この弱点は言い換えれば、「このカードを《Time Walk》として唱えるためにはいわゆるトップデッキを除いてカード一枚+α(αは多くの場合1ターンに相当)の投資が必要である」ということだ。
具体例を出そう。
まず、このカードを2ターン目に唱えるとしよう。
そうするとおおよそは下記のような流れになるのではないだろうか?
1ターン目:土地をセット→ドロー又はサーチ系で詰め込む。
2ターン目:土地をセット→唱える
ここで問題。
もし、追加のターンで土地をセットできなかったらどうなるか?
殆ど2マナ1ドローだ。(土地がアンタップするという点ではいくらかマシだが)
自分だったら《火+氷/Fire+Ice》で氷のモードの方を唱える。
ちなみに、上記のように土地をセットできなかった場合にもう一つ大きな欠点があるのことを認識していなければならない。
それはもう書いた。
もうわかっている人もいるのではないだろうか?
そう、ドロー又はサーチ系を使用している。
つまり、カード一枚を消費しているのだ。
ひどい時には1ターンをも無駄にしてしまう可能性もある。
こんなんだったら《ミューズの囁き/Whisper of the Muse》の方が良い。
3ターン目に唱えようと、この弱点は変わらない。
軽減できるのは《師範の占い独楽/Sensei’s Divining Top》くらいか。
それでも、トップの順番を変えるため、①マナは失われる。
→この問題点を解決するには土地を多めにすればよいのではないか?
確かにそうだ。
しかし、土地を入れると他のカードが減る。
その上、サーチカードや《師範の占い独楽/Sensei’s Divining Top》といったらライブラリー操作カードを搭載しなければならない。
miracleコストで唱えるためにここまでする価値はあるのだろうか?
そもそも、現在のLegacy環境における多くのデッキがこのカードが入るスロットはあるのだろうか?
何を抜くのか?
ちなみに《Force of Will》は代替コストをもつが、それ以上にある程度素打ちが可能なカードであるから強い。
「miracle版《Time Walk》」はどうだろうか?
普通に唱えられるか?
以上のように欠点だけを述べる形になってしまったが、発掘がDredgeを生み出したように、全てmiracleをもったデッキなどで使用すれば十分使えるデッキが出る可能性も否定できないと思う。
今後の動向に期待したい。
最後に、「《Time Walk》がなぜ強いか?」ということを改めて考えるべきではないかと自分は思う。
今回の騒動は《Time Walk》の名前と印象の独り歩きを如実に表しているのではないだろうか?
そして、Vintageはそのようなカードが多いように感じる。
キーワード能力:フラッシュバック
2012年3月30日 Mtg考察 コメント (2)未練ある魂/Lingering Souls (2)(白)
ソーサリー
飛行を持つ白の1/1のスピリット(Spirit)・クリーチャー・トークンを2体戦場に出す。
フラッシュバック(1)(黒)(あなたはあなたの墓地にあるこのカードを、そのフラッシュバック・コストで唱えてもよい。その後それを追放する。)
ブロック構築で《未練ある魂/Lingering Souls》が禁止カードになった。
同コストならフラッシュバックを持つ呪文は持たない呪文と比べて、強力なカードになる傾向があると言えるだろう。
→インスタントとソーサリーといった違いさえも覆されることがある。
理由は簡単。
カードアドバンテージを取れるからだ。
→尤も、この傾向はフラッシュバックに限らず、1対2以上のアドバンテージが取れる殆ど全てのカードに当てはまるだろう。
元のカードが1対2以上のアドバンテージを得るカードである場合、フラッシュバックがあることで更にアドバンテージに差がつく。
効果に対し相当重いコストでない限り、単なる強力無比なカードになってしまう。
フラッシュバックで結果を残したカードを考えてみればいい。
元来、強力なカードに対する対処法として、「墓地に置く」という方法が存在する。
「墓地に置く」
つまり、主に手札破壊とカウンターだ。
→ライブラリー破壊などもあるがここでは割愛
しかし、フラッシュバックは「墓地のカードを唱える」ため、「墓地に置く」という対処法では完全に対処できない。
キーワード能力であるため、見ても騒ぐ人は少ないが、はっきり言ってMagic:the Gatheringの原則を大きく破壊する能力だ。
全ての呪文がフラッシュバックを持っているデッキの場合、「いつでも《ヨーグモスの意志/Yawgmoth’s Will》の上位互換の効果が適応されます」となるようなものだ。
これは流石にに言い過ぎだが、完全に間違いとも言い切れないだろう。要は、それほど壊れた能力である、ということだ。
考えてもみれば、上記のような高アドバンテージのカードを産む可能性が高い「フラッシュバック環境」で禁止になるカードが出るのは最早時間の問題だったのだろうか?
この「墓地からの再利用」はクリーチャーにも出現し始めた。
頑強、そして不死だ。
クリーチャー自体、1対多数という比較的高いカードの経済性を持っているカードなのに、そのカードに更にアドアバンテージが付き始めている。
これは、所謂「クリーチャーの質/性能の向上」というよりも「クリーチャー・カードのカードとしての経済性の向上」であり、一昔前のクリーチャーの性能の向上とはベクトルが異なる向上の仕方だ。
以前はほぼ全てのクリーチャーが「クリーチャー・カード」としては1枚のクリーチャーであったが、最近では完全にそうであるとは言い切れなくなってきている。
→《タルモゴイフ/Tarmogoyf》は何もなければ確定除去1枚で墓地に落とせ、単体では再利用は出来ない。
今までのマナレシオのような指標とは異なるクリーチャーの見方が必要とされているのかもしれない。
カードの経済性とでも言うべきか。
何より、強いクリーチャーカードが「なぜ強いか?」をしっかりと見極める必要があるのではないだろうか?
→統率者戦では、その「何故」を理解していないと状況から狙うべき相手の判断が鈍る。
Vintageでの《ヨーグモスの意志/Yawgmoth’s Will》も、そのカード自体が正確に理解されていると言えるのだろうか?
強力なカードの名前だけが一人歩きし、その考察・理解が不足してはいないだろか?
「安価なデッキ」と「高価なデッキ」
2012年3月25日 Mtg考察 コメント (4)Magic:the Gatheringは多かれ少なかれお金がかかる。
つぎ込むお金が高い程、真剣に、勝ちを目指してやっていることになるのだろうか?
確かに、その傾向はあると思う。
「強いカード」≒「高いカード」という傾向が存在するからだ。
しかし、上記の言葉が全ての場合に当てはまるわけではないことも事実だろう。
統率者戦が出来てから、「安いカードで・・・」や「安いデッキで・・・」ということもよく耳にする。
別に、それは構わない。
だが、個人的にはデッキに使われているカードの値段(=デッキの値段)で住み分けたりすることはナンセンスと言わざるを得ない。
人間の資産は様々だ。
従って、「高いカード」の捉え方も個々人で異なる。
どこまでを「高価である」とするのか、その線引きが明確にされていない限り「安いカードで・・・」といった曖昧な定義が混乱を招くのはまさに必然とも言えるだろう。
又、昔からやっている人とそうでない人もいるわけであり、そうなるとデッキ構築も一からカードを集める人と数枚カードを買うだけの人がいたりと差が出てくる。
自分は、比較的少ない資産でも工夫してデッキを構築し、勝ちを目指している人を知っている。
そして、そのような人は決して少なくないと思う。
繰り返しになるが、Magicにかけるお金の多寡は個人の主観的なものであり、絶対的なものではない。
→資産10億円の人の1万円と月々のお小遣いが数百円〜数千円の小学生の1万円が同じと言えるだろうか?
更に、1万円のカードが50円で手に入ることもある。その場合はどうするのか?
「楽しむことが目的なので、金がかからないように安いカードでデッキ作ってます」
確かに、そういう楽しみ方もあるかもしれない。
価値観が揃っていたり、ちゃんと理解している身内だけなら問題はないと思う。
しかし、そういった価値観が違う人はどのように捉えるだろうか?
お金で線引きをするということは非常に難しく、一筋縄ではいかないのが現実なのではないだろうか?
ある程度の目安にする分には一向に構わない。
だが、プレイするデッキの価値にこだわって住み分けたり、プレイヤーのスタンスを判断するのはどうかと思う。
つぎ込むお金が高い程、真剣に、勝ちを目指してやっていることになるのだろうか?
確かに、その傾向はあると思う。
「強いカード」≒「高いカード」という傾向が存在するからだ。
しかし、上記の言葉が全ての場合に当てはまるわけではないことも事実だろう。
統率者戦が出来てから、「安いカードで・・・」や「安いデッキで・・・」ということもよく耳にする。
別に、それは構わない。
だが、個人的にはデッキに使われているカードの値段(=デッキの値段)で住み分けたりすることはナンセンスと言わざるを得ない。
人間の資産は様々だ。
従って、「高いカード」の捉え方も個々人で異なる。
どこまでを「高価である」とするのか、その線引きが明確にされていない限り「安いカードで・・・」といった曖昧な定義が混乱を招くのはまさに必然とも言えるだろう。
又、昔からやっている人とそうでない人もいるわけであり、そうなるとデッキ構築も一からカードを集める人と数枚カードを買うだけの人がいたりと差が出てくる。
自分は、比較的少ない資産でも工夫してデッキを構築し、勝ちを目指している人を知っている。
そして、そのような人は決して少なくないと思う。
繰り返しになるが、Magicにかけるお金の多寡は個人の主観的なものであり、絶対的なものではない。
→資産10億円の人の1万円と月々のお小遣いが数百円〜数千円の小学生の1万円が同じと言えるだろうか?
更に、1万円のカードが50円で手に入ることもある。その場合はどうするのか?
「楽しむことが目的なので、金がかからないように安いカードでデッキ作ってます」
確かに、そういう楽しみ方もあるかもしれない。
価値観が揃っていたり、ちゃんと理解している身内だけなら問題はないと思う。
しかし、そういった価値観が違う人はどのように捉えるだろうか?
お金で線引きをするということは非常に難しく、一筋縄ではいかないのが現実なのではないだろうか?
ある程度の目安にする分には一向に構わない。
だが、プレイするデッキの価値にこだわって住み分けたり、プレイヤーのスタンスを判断するのはどうかと思う。
勝敗を決める要因@シールド
2012年3月25日 Mtg考察先日、ターミネーター(ニックネーム)とシールド戦をやった。
その時感じたことが、シールド戦において最も重要な要素の一つは相手のデッキの把握である、ということだ。
まさにその言葉が示す通りだと思う。
シールドならではの「運」の要素が非常に大きいことも忘れてはならないだろう。
ちなみに、その日は5パックで緑白デッキを作ったのだが、こちらのパックが凄まじく、
《原初の狩人、ガラク/Garruk, Primal Hunter》
《ギデオン・ジュラ/Gideon Jura》
《堂々たる撤廃者/Grand Abolisher》
をはじめ、
《機を見た援軍/Timely Reinforcements》
《セラの天使/Serra Angel》
《平和な心/Pacifism》×2
等、通常では考えられないデッキが出来てしまっていた。
→《大蜘蛛/Giant Spider》×2もあったり、《ラノワールのエルフ/Llanowar Elves》と《マナリス/Manalith》でマナ加速も出来ていた。しかも、《棍棒トロール/Cudgel Troll》×2と最早意味不明。勿論、装備品で強化します。
隣で見ていたコアさん曰く「弱いカードが無い」
それでも最後は一本取られたが、やはりカードパワーがものを言う環境であることは間違いないだろう。
→勿論、使いこなす技量も必要だが、それだけではどうにもならないことが多々ある。
今回のようなことは、シールド戦をやる以上、避けられない。
そして、強力なパワーカード満載のデッキに勝つためには「相手のデッキを知ること」が必要不可欠だ。
特に、まんまと取られた最後の勝負はこちらの引き具合もあったが、相手のこちらが使用するデッキ理解による構築とプレイによるところが大きい。
シールド戦に限ったことではないが、第一戦目で直ちに投了してしまう人を見かけることがある。
自分の手札やキーカードをバラしたくない、時間が少ない、などの理由もあるかもしれない。
しかし、特にシールド戦においてはキーカードはプレイしなければ良いし、時間の短縮等の利益と相手の情報を天秤にかけた場合、相手の情報を得ることが重要になるのではないだろうか?
→手札破壊で見られるときもあるので、完全に正しいと言うわけではない
相手のデッキを知るためには、あくまで「敗北までの行動ターン数を稼ぐ」ことが重要であり、「プレイ時間を稼ぐ」ことではない。後者は妨害と取られても仕方あるまい。
負け戦は何も得られない試合ではない。
次の試合に活用できるなら、尚更だ。
→トーナメントの時は、次に当たりそうな相手の試合を観察したりすることもかなり有益な情報源となる。
ドラフトやシールド戦ではプレイングやデッキ構築、(ピックの方法)の重要性が叫ばれている。
言うまでもなく、勝つためにこれらは必要だろう。
しかし、相手のデッキを知ろうとする姿勢がシールド戦やドラフトで非常に大きな要素であることも忘れてはならないのではないだろうか?
その時感じたことが、シールド戦において最も重要な要素の一つは相手のデッキの把握である、ということだ。
敵を知り、己を知れば、百戦危うからず
まさにその言葉が示す通りだと思う。
シールドならではの「運」の要素が非常に大きいことも忘れてはならないだろう。
ちなみに、その日は5パックで緑白デッキを作ったのだが、こちらのパックが凄まじく、
《原初の狩人、ガラク/Garruk, Primal Hunter》
《ギデオン・ジュラ/Gideon Jura》
《堂々たる撤廃者/Grand Abolisher》
をはじめ、
《機を見た援軍/Timely Reinforcements》
《セラの天使/Serra Angel》
《平和な心/Pacifism》×2
等、通常では考えられないデッキが出来てしまっていた。
→《大蜘蛛/Giant Spider》×2もあったり、《ラノワールのエルフ/Llanowar Elves》と《マナリス/Manalith》でマナ加速も出来ていた。しかも、《棍棒トロール/Cudgel Troll》×2と最早意味不明。勿論、装備品で強化します。
隣で見ていたコアさん曰く「弱いカードが無い」
それでも最後は一本取られたが、やはりカードパワーがものを言う環境であることは間違いないだろう。
→勿論、使いこなす技量も必要だが、それだけではどうにもならないことが多々ある。
今回のようなことは、シールド戦をやる以上、避けられない。
そして、強力なパワーカード満載のデッキに勝つためには「相手のデッキを知ること」が必要不可欠だ。
特に、まんまと取られた最後の勝負はこちらの引き具合もあったが、相手のこちらが使用するデッキ理解による構築とプレイによるところが大きい。
シールド戦に限ったことではないが、第一戦目で直ちに投了してしまう人を見かけることがある。
自分の手札やキーカードをバラしたくない、時間が少ない、などの理由もあるかもしれない。
しかし、特にシールド戦においてはキーカードはプレイしなければ良いし、時間の短縮等の利益と相手の情報を天秤にかけた場合、相手の情報を得ることが重要になるのではないだろうか?
→手札破壊で見られるときもあるので、完全に正しいと言うわけではない
相手のデッキを知るためには、あくまで「敗北までの行動ターン数を稼ぐ」ことが重要であり、「プレイ時間を稼ぐ」ことではない。後者は妨害と取られても仕方あるまい。
負け戦は何も得られない試合ではない。
次の試合に活用できるなら、尚更だ。
→トーナメントの時は、次に当たりそうな相手の試合を観察したりすることもかなり有益な情報源となる。
ドラフトやシールド戦ではプレイングやデッキ構築、(ピックの方法)の重要性が叫ばれている。
言うまでもなく、勝つためにこれらは必要だろう。
しかし、相手のデッキを知ろうとする姿勢がシールド戦やドラフトで非常に大きな要素であることも忘れてはならないのではないだろうか?
まずはじめに、自分はこの考え方については懐疑的であることを明記しておく。
又、個人的な意見なので、他に違う意見ももちろんあると思いますし、自分の考えを強要するつもりは全くありません。
単純に言えば「軽量ドローカードを増やせば土地を少なくできる」という考え方である。
~理論と呼ばれることもあるらしいが、明確な根拠及び結果が無い以上、「仮定」もしくは「仮説」とするのが正しいと思い、付けていない。
→見解を示す場合も「~理論」となることがあるので、その場合は構わないとは思う。
特に問題なのが、単に「軽量ドローカード」と言っている点で、それらのドローカードが何枚参照できるのか、何枚ドローできるのか、マナはいくらくらいなのか等が明記されていないことだ。
ゼロックスの見地から《渦まく知識/Brainstorm》を四枚搭載して「デッキが安定した」というのはこの考え方の根拠にはならないだろう。
→《ミューズの囁き/Whispers of the Muse》で同じ効果が得られるのか?
仮にゼロックスの考え方に基づいてデッキ構築をした場合、以下の問題点が生じると思う。
①キープ基準が難しくなる
②序盤の展開が遅くなる(俗に言う、「テンポロス」が大きい)
以上の2点が比較的致命的なのではないだろうか?
それぞれ根拠を述べていきたい。
まずは、「①キープ基準が難しくなる」
マナを使わない優秀ドロー呪文、《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》を例にとって考察してみよう。
ゼロックスによると、《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》2枚で土地1枚と換算出来るらしい。
つまり、土地2枚キープが目安のデッキの場合、初手が
ⅰ)土地2枚+そのほかの呪文5枚
ⅱ)土地1枚&《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》×2+そのほかの呪文4枚
が同じキープ基準足りえる。(絶対ではない)
更に、
ⅲ)土地1枚&《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》+そのほかの呪文5枚
となることもある。
ⅱはともかく、ⅲだったら《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》よりも土地の方が良いと思う。
加えて、ⅱの場合でも、あくまで「ゼロックス的に考えて」であり、2発の《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》後に土地を引けないこともある。
そして、それは運次第。
言い換えれば、ゼロックスの考え方に沿ってキープすることは安定性が低下することに他ならない。
次に、「②序盤の展開が遅くなる(俗に言う、「テンポロス」が大きい)」
①では故意的にマナを使わない呪文で仮定したが、Magic:the Gatheringでは多くの呪文が唱えるためにマナを必要とする。
つまり、唱えるために余分にマナを使うということになる。
特に、序盤での1マナは1ターンに相当する。
引いたカードがドローカードである場合もあり、更にはそのカードも唱える必要がある。
→ドローカードを引くためのドローはストーム目的や呪文を唱えることを目的としたデッキでもない限り避けるべきである場合が多い。
このようなことが起こった場合、恐ろしいテンポロスと言わざるを得ないだろう。
そして、ゼロックスは上記のような事態を増加させるような考え方である。
この結果が示すことは、デッキの展開が遅れ=テンポロスだ。
→序盤ではドローカードで欲しいカードを引くよりは、最初からそのカードを入れておいたほうが良い。4枚搭載してしまったカードを探すのならまだしも、土地ならば代用になるカード(フェッチランド等)を予め入れておける場合が多いのではないだろうか?
俗に言うウィー=ゼロックスは「インスタント又はソーサリーを唱えることが勝ちにつながるデッキ」であったからこそゼロックスの考え方が一致しただけであり、そこまでゼロックスそのものがそのデッキの根幹たるデッキではないだろう。
→後半でもドローカードを有効に使う、といった点ではデッキを特徴付けていると言えなくもないが、これは《小柄な竜装者/Wee Dragonauts》等があってこそである。
ここまでゼロックスについて否定的内見を多く述べてきてしまったが、ゼロックスの言わんとすることはわかる気がする。
高性能なドローカードはデッキを安定させ、土地の枚数を減少させてもある程度の安定性を保たせるよう働く傾向にあるのは事実だと思う。
それには前述した、「ドローカードが参照する枚数」なども考慮に入れる必要があり、簡単にはいかない。
そういった難しいことを省いて、指針・参考に使うぶんにはゼロックスは良いと思う。
又、個人的な意見なので、他に違う意見ももちろんあると思いますし、自分の考えを強要するつもりは全くありません。
単純に言えば「軽量ドローカードを増やせば土地を少なくできる」という考え方である。
~理論と呼ばれることもあるらしいが、明確な根拠及び結果が無い以上、「仮定」もしくは「仮説」とするのが正しいと思い、付けていない。
→見解を示す場合も「~理論」となることがあるので、その場合は構わないとは思う。
特に問題なのが、単に「軽量ドローカード」と言っている点で、それらのドローカードが何枚参照できるのか、何枚ドローできるのか、マナはいくらくらいなのか等が明記されていないことだ。
ゼロックスの見地から《渦まく知識/Brainstorm》を四枚搭載して「デッキが安定した」というのはこの考え方の根拠にはならないだろう。
→《ミューズの囁き/Whispers of the Muse》で同じ効果が得られるのか?
仮にゼロックスの考え方に基づいてデッキ構築をした場合、以下の問題点が生じると思う。
①キープ基準が難しくなる
②序盤の展開が遅くなる(俗に言う、「テンポロス」が大きい)
以上の2点が比較的致命的なのではないだろうか?
それぞれ根拠を述べていきたい。
まずは、「①キープ基準が難しくなる」
マナを使わない優秀ドロー呪文、《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》を例にとって考察してみよう。
ゼロックスによると、《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》2枚で土地1枚と換算出来るらしい。
つまり、土地2枚キープが目安のデッキの場合、初手が
ⅰ)土地2枚+そのほかの呪文5枚
ⅱ)土地1枚&《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》×2+そのほかの呪文4枚
が同じキープ基準足りえる。(絶対ではない)
更に、
ⅲ)土地1枚&《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》+そのほかの呪文5枚
となることもある。
ⅱはともかく、ⅲだったら《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》よりも土地の方が良いと思う。
加えて、ⅱの場合でも、あくまで「ゼロックス的に考えて」であり、2発の《ギタクシア派の調査/Gitaxian Probe》後に土地を引けないこともある。
そして、それは運次第。
言い換えれば、ゼロックスの考え方に沿ってキープすることは安定性が低下することに他ならない。
次に、「②序盤の展開が遅くなる(俗に言う、「テンポロス」が大きい)」
①では故意的にマナを使わない呪文で仮定したが、Magic:the Gatheringでは多くの呪文が唱えるためにマナを必要とする。
つまり、唱えるために余分にマナを使うということになる。
特に、序盤での1マナは1ターンに相当する。
引いたカードがドローカードである場合もあり、更にはそのカードも唱える必要がある。
→ドローカードを引くためのドローはストーム目的や呪文を唱えることを目的としたデッキでもない限り避けるべきである場合が多い。
このようなことが起こった場合、恐ろしいテンポロスと言わざるを得ないだろう。
そして、ゼロックスは上記のような事態を増加させるような考え方である。
この結果が示すことは、デッキの展開が遅れ=テンポロスだ。
→序盤ではドローカードで欲しいカードを引くよりは、最初からそのカードを入れておいたほうが良い。4枚搭載してしまったカードを探すのならまだしも、土地ならば代用になるカード(フェッチランド等)を予め入れておける場合が多いのではないだろうか?
俗に言うウィー=ゼロックスは「インスタント又はソーサリーを唱えることが勝ちにつながるデッキ」であったからこそゼロックスの考え方が一致しただけであり、そこまでゼロックスそのものがそのデッキの根幹たるデッキではないだろう。
→後半でもドローカードを有効に使う、といった点ではデッキを特徴付けていると言えなくもないが、これは《小柄な竜装者/Wee Dragonauts》等があってこそである。
ここまでゼロックスについて否定的内見を多く述べてきてしまったが、ゼロックスの言わんとすることはわかる気がする。
高性能なドローカードはデッキを安定させ、土地の枚数を減少させてもある程度の安定性を保たせるよう働く傾向にあるのは事実だと思う。
それには前述した、「ドローカードが参照する枚数」なども考慮に入れる必要があり、簡単にはいかない。
そういった難しいことを省いて、指針・参考に使うぶんにはゼロックスは良いと思う。
青MUD@Legacy(訂正)
2012年2月25日 Mtg考察 コメント (2)検索によく引っかかって来ているので少し個人的な意見を。
自分としては、MUDは2色以上をタッチすることは現段階では不可能だと思っている。
→今後、新たなカードの出現次第ではこの限りではないだろう。
MUDに入れられる色は青と赤が圧倒的に多い。
それぞれの長所は前の日記にも書いたと思うが簡単にまとめると
青:ドロー手段
赤:《ゴブリンの溶接工/Goblin Welder》の存在+α
以上のようになるだろう。
かなり大雑把だが。
今回は青MUDに関してだが、代表的なカードは《知識の渇望/Thirst for Knowledge》や《物読み/Thoughtcast》等。
このデッキにダブルシンボルを求めるのはまず絶望的だ。
上記の二枚のカード以外にもあるが、一番使われていたのはこれらだろう。
両者の違いは
①ライブラリーを掘り下げる枚数
②ディスカードの有無
③マナコスト
インスタントとソーサリーの違いはあるが、これらの重要性は他のデッキに比して低い傾向にある。
MUDのとる行動は自分のターン(=ソーサリータイミング)が圧倒的に多いためだ。
①ライブラリーを掘り下げる枚数
これに関しては多いほうが望ましいが、②の要素もあるためにどちらが有利とは言えない。
しかし、3枚は魅力的だ。
②ディスカードの有無
これが結構重要で、《知識の渇望/Thirst for Knowledge》を使用する場合、《金属細工師/Metalworker》の有無で全くプレイが異なる。
不用意にアーティファクトを捨てることは利用できるマナが2マナ減ることに繋がるためだ。
《世界のるつぼ/Crucible of Worlds》があれば土地を捨てることでいくらか改善されるだろう。
アーティファクト・土地ならおいしい。
→滅多にできないが。
加えて、二枚捨てた場合には手札は増えない。
《金属細工師/Metalworker》と残りの手札の具合によって、価値が激変する。
③マナコスト
《三なる宝球/Trinisphere》搭載型では終盤には差はでない。
しかし、《抵抗の宝球/Sphere of Resistance》搭載型では《物読み/Thoughtcast》の方が良い場合が多い。
最序盤に打つなら《知識の渇望/Thirst for Knowledge》がいいかもしれないが、MUDでは序盤は他にすべきことはある。
他にもいろいろあるが、《知識の渇望/Thirst for Knowledge》と《物読み/Thoughtcast》のどちらか一種類のカードに決めるのではなく、両方のハイブリッドも十分考慮に値する選択肢ではないだろうか?
余談だが、《知識の渇望/Thirst for Knowledge》はVintageで禁止カード 制限カードに指定されている。
この 禁止制限には、《知識の渇望/Thirst for Knowledge》自体のカードパワーもさることながら、「《知識の渇望/Thirst for Knowledge》を多数搭載したデッキのパワーを削ぐ為である」というのが公式の見解だ。
そうでなくても、《知識の渇望/Thirst for Knowledge》は非常に素晴らしいカードであるのだが。
→実質的に中盤過ぎのMoxenを手札に変えられる
《物読み/Thoughtcast》も他の環境以上に使いやすいが、Vintageでは青いデッキは常にアーティファクトを場に複数出す/出せるようなデッキではないことが多いこと、ソーサリーであり、カウンターを構えずらいことから敬遠されがちであるが、十分通用するカードだと思う。
最近のVintageではカウンターが《Force of Will》と《精神的つまづき/Mental Misstep》だけというデッキも登場してきたので、後者の弱点はいくらか軽減されたのでは無いだろうか。
自分としては、MUDは2色以上をタッチすることは現段階では不可能だと思っている。
→今後、新たなカードの出現次第ではこの限りではないだろう。
MUDに入れられる色は青と赤が圧倒的に多い。
それぞれの長所は前の日記にも書いたと思うが簡単にまとめると
青:ドロー手段
赤:《ゴブリンの溶接工/Goblin Welder》の存在+α
以上のようになるだろう。
かなり大雑把だが。
今回は青MUDに関してだが、代表的なカードは《知識の渇望/Thirst for Knowledge》や《物読み/Thoughtcast》等。
このデッキにダブルシンボルを求めるのはまず絶望的だ。
上記の二枚のカード以外にもあるが、一番使われていたのはこれらだろう。
両者の違いは
①ライブラリーを掘り下げる枚数
②ディスカードの有無
③マナコスト
インスタントとソーサリーの違いはあるが、これらの重要性は他のデッキに比して低い傾向にある。
MUDのとる行動は自分のターン(=ソーサリータイミング)が圧倒的に多いためだ。
①ライブラリーを掘り下げる枚数
これに関しては多いほうが望ましいが、②の要素もあるためにどちらが有利とは言えない。
しかし、3枚は魅力的だ。
②ディスカードの有無
これが結構重要で、《知識の渇望/Thirst for Knowledge》を使用する場合、《金属細工師/Metalworker》の有無で全くプレイが異なる。
不用意にアーティファクトを捨てることは利用できるマナが2マナ減ることに繋がるためだ。
《世界のるつぼ/Crucible of Worlds》があれば土地を捨てることでいくらか改善されるだろう。
アーティファクト・土地ならおいしい。
→滅多にできないが。
加えて、二枚捨てた場合には手札は増えない。
《金属細工師/Metalworker》と残りの手札の具合によって、価値が激変する。
③マナコスト
《三なる宝球/Trinisphere》搭載型では終盤には差はでない。
しかし、《抵抗の宝球/Sphere of Resistance》搭載型では《物読み/Thoughtcast》の方が良い場合が多い。
最序盤に打つなら《知識の渇望/Thirst for Knowledge》がいいかもしれないが、MUDでは序盤は他にすべきことはある。
他にもいろいろあるが、《知識の渇望/Thirst for Knowledge》と《物読み/Thoughtcast》のどちらか一種類のカードに決めるのではなく、両方のハイブリッドも十分考慮に値する選択肢ではないだろうか?
余談だが、《知識の渇望/Thirst for Knowledge》はVintageで
この
そうでなくても、《知識の渇望/Thirst for Knowledge》は非常に素晴らしいカードであるのだが。
→実質的に中盤過ぎのMoxenを手札に変えられる
《物読み/Thoughtcast》も他の環境以上に使いやすいが、Vintageでは青いデッキは常にアーティファクトを場に複数出す/出せるようなデッキではないことが多いこと、ソーサリーであり、カウンターを構えずらいことから敬遠されがちであるが、十分通用するカードだと思う。
最近のVintageではカウンターが《Force of Will》と《精神的つまづき/Mental Misstep》だけというデッキも登場してきたので、後者の弱点はいくらか軽減されたのでは無いだろうか。
自分としては、Vintageという環境をしっかり見てからそういうことを言って欲しいと思っている。
そもそも、最初から多くの場合においてキーカードになる統率者を持っている統率者戦とは比べられる訳がない。
固有色やジェネラルの相性・多人数戦といった要素もVintageでは存在しない。
例えで言っているかもしれない。
Vintageを知らない人が統率者戦からVitageのイメージを得ることも無いとは言い切れず、適当とは言えないだろう。
ネットなどで簡単に情報が得られる時代の弊害であるが、間違った情報も簡単に入ってきてしまう。
それらを見極めることも重要だが、最近は巧緻に歪曲された情報もあり、自分での判断は難しい。
一回、全てプロキシでも良いからVintageのデッキを作ってみるといいと思う。
Vintageの環境が垣間見えるはずだ。
そして、きっと楽しいと思う。
中には扱い方もわからないようなデッキもあるかもしれないが・・・(笑)
そんな時こそ、ネットやできそうな人に質問して調べれば良い。
Vintageならではのカードの使い方もあるのでそういったことを知ることで更にMagicが楽しめるようになるに違いない。
そもそも、最初から多くの場合においてキーカードになる統率者を持っている統率者戦とは比べられる訳がない。
固有色やジェネラルの相性・多人数戦といった要素もVintageでは存在しない。
例えで言っているかもしれない。
Vintageを知らない人が統率者戦からVitageのイメージを得ることも無いとは言い切れず、適当とは言えないだろう。
ネットなどで簡単に情報が得られる時代の弊害であるが、間違った情報も簡単に入ってきてしまう。
それらを見極めることも重要だが、最近は巧緻に歪曲された情報もあり、自分での判断は難しい。
一回、全てプロキシでも良いからVintageのデッキを作ってみるといいと思う。
Vintageの環境が垣間見えるはずだ。
そして、きっと楽しいと思う。
中には扱い方もわからないようなデッキもあるかもしれないが・・・(笑)
そんな時こそ、ネットやできそうな人に質問して調べれば良い。
Vintageならではのカードの使い方もあるのでそういったことを知ることで更にMagicが楽しめるようになるに違いない。
公式が新たに提示した統率者戦(EDH)に関して@統率者戦(EDH)
2012年2月5日 Mtg考察以下の文章は個人の意見です。様々な意見があると思います。
自分はほかの人に自分の思想や意見を強要するつもりは全くありません。そのことを踏まえて読んでいただきたいです。
まず、公式は公正ではない。
程度の差こそあれ、記事はあくまで執筆者の個人の意見によるところが入るというのが実情だろう。
つまり、その個人の考えにより多かれ少なかれ左右される。
加えて、これも当然のことだが、ゲームが人間が作ったものである以上、ルールは人間がつくる。
つまり、必ずしも万人に対して、全人的に設定される訳ではない。
特定の集団の利益になるためのルール設定・改訂は存在する。
スキーのジャンプにおけるスキーの長さ制限はなんのために設けられたのかを考えればいい。
設定した人は表向きでは「大義名分」を振りかざすだけだ。
今回の統率者の場合、たまたま公式記事を書く人が統率者戦でコンボデッキを嫌う人だったのかもしれない。
極論を言えば、白単や、《静寂の守り手、リンヴァーラ/Linvala, Keeper of Silence》を使いたかったのかもしれない。
→さすがにこれは極論すぎる。まず、無いだろう。
しかし、その可能性をゼロと言えるだろうか?
本人に聞いたところで、「みんなが楽しめる統率者戦・・・」なる「大義名分」が返ってくるだけであろう。
真意は誰も分からない。
公式では当然のように《静寂の守り手、リンヴァーラ/Linvala, Keeper of Silence》が紹介されていた。
自分も、「どうせ、サーチカードやらを禁止する人が出てくるんだろうな」と思い、《巻物の君、あざみ/Azami, Lady of Scrolls》を作ったが。
噂にはあったがまさか本当にやるとは・・・
もう他の方々も書いていると思うが、公式が打ち出した改訂ルールについて考えてみる。
まず、いろいろなところで言われている通り、多色デッキは非常に厳しいだろう。いや、実際にやってみて厳しかった。
「二色ならなんとか・・・」
という意見もあるが、それはジェネラルの色拘束次第だろう。
三色以上は壊滅的だ。
多色デッキにとって、《ハルマゲドン/Armageddon》は投了ものだ。
追加のマナ基盤をクリーチャー・アーティファクトに頼りきる為、《ジョークルホープス/Jokulhaups》や《抹消/Obliterate》など唱えられようものなら、再起不能。
単色デッキは《無のロッド/Null Rod》や《呪われたトーテム像/Cursed Totem》を搭載することで更に多色デッキに対して優位に戦える。
青単なら《基本に帰れ/Back to Basics》や《魔力流出/Energy Flux》も搭載すればいい。
では、土地のサーチのみを許すのか?
そうなったら、最早滅茶苦茶だ。
新たなルールを作れば、新たな問題が生まれる。
鼬ごっこだ。
月並みな結論になるが結局はプレイする環境に任せれば良いと思う。
しかし、逆説のようだが、その反面、多くの人がプレイする以上、共通のルールは必要である。
ラテン語を母体とする多くのヨーロッパ言語はラテン語のルールを各々の集団が追加及び削除したために違う言語になってしまった。
それらの言語は他の言語とは最早、通じることは出来ない。勿論、似ているのでわかるものもある。(ヨーロッパ言語の発生には諸説あるが・・・)
別にこのことが悪いことだとは思わない。
以上のように様々な「ルール」が乱立されてしまうと、統率者戦も同じようなことが起きないだろうか。
そして、統率者戦は言語ではない。
同じカードゲームとして競う以上、同じルールでなくては困るのだ。
その叩き台として公式がルールを提示してくれたのかもしれない。
新たな指針とするには良いのかもしれない。
ただ漠然と統率者戦のルールを模索するよりも、骨組みとなるようなものがあったほうが良いのは確かだ。
加えて、自分はこのルールでは4回程度しかやっていない。
まだまだいろんな発見はあるだろうし、感触だけで決め付けるべきでは無いのかもしれない。
しかし、個人的に疑問なのが、「《締め付け/Stranglehold》と《墓掘りの檻/Grafdigger’s Cage》がある状態」として紹介したことだ。
説明として「分かりやすさを重視」とも取れるかもしれないが、これらのカードを知らない人には全く意味がない。
むしろ、「禁止カード」という言葉を隠すために使われたとも取れる。
実際、「サーチカード全面禁止」+「リアニメイト系呪文禁止」+αのようなものなのだから。
結局のところ、個々人が工夫するしかない。
それは住み分けであったり、プレイングであったり。
「強いジェネラル」と「強いデッキ」は必ずしもイコールではない。
個人的には「強いジェネラル」や「強いデッキ」もプレイング如何では楽しむことを目的として色々な卓に参加できると思っている。
アピールをしても、そういったことを知らない人からは集中砲火を浴びることもあるが、それは仕方がない。
デッキも結局はプレイする人次第。
デッキによって戦うゲームである限り、統率者戦もプレイする人が大事であり、ルールだけが原因とは言えないのでは無いだろうか。
自分はほかの人に自分の思想や意見を強要するつもりは全くありません。そのことを踏まえて読んでいただきたいです。
まず、公式は公正ではない。
程度の差こそあれ、記事はあくまで執筆者の個人の意見によるところが入るというのが実情だろう。
つまり、その個人の考えにより多かれ少なかれ左右される。
加えて、これも当然のことだが、ゲームが人間が作ったものである以上、ルールは人間がつくる。
つまり、必ずしも万人に対して、全人的に設定される訳ではない。
特定の集団の利益になるためのルール設定・改訂は存在する。
スキーのジャンプにおけるスキーの長さ制限はなんのために設けられたのかを考えればいい。
設定した人は表向きでは「大義名分」を振りかざすだけだ。
今回の統率者の場合、たまたま公式記事を書く人が統率者戦でコンボデッキを嫌う人だったのかもしれない。
極論を言えば、白単や、《静寂の守り手、リンヴァーラ/Linvala, Keeper of Silence》を使いたかったのかもしれない。
→さすがにこれは極論すぎる。まず、無いだろう。
しかし、その可能性をゼロと言えるだろうか?
本人に聞いたところで、「みんなが楽しめる統率者戦・・・」なる「大義名分」が返ってくるだけであろう。
真意は誰も分からない。
公式では当然のように《静寂の守り手、リンヴァーラ/Linvala, Keeper of Silence》が紹介されていた。
自分も、「どうせ、サーチカードやらを禁止する人が出てくるんだろうな」と思い、《巻物の君、あざみ/Azami, Lady of Scrolls》を作ったが。
噂にはあったがまさか本当にやるとは・・・
もう他の方々も書いていると思うが、公式が打ち出した改訂ルールについて考えてみる。
まず、いろいろなところで言われている通り、多色デッキは非常に厳しいだろう。いや、実際にやってみて厳しかった。
「二色ならなんとか・・・」
という意見もあるが、それはジェネラルの色拘束次第だろう。
三色以上は壊滅的だ。
多色デッキにとって、《ハルマゲドン/Armageddon》は投了ものだ。
追加のマナ基盤をクリーチャー・アーティファクトに頼りきる為、《ジョークルホープス/Jokulhaups》や《抹消/Obliterate》など唱えられようものなら、再起不能。
単色デッキは《無のロッド/Null Rod》や《呪われたトーテム像/Cursed Totem》を搭載することで更に多色デッキに対して優位に戦える。
青単なら《基本に帰れ/Back to Basics》や《魔力流出/Energy Flux》も搭載すればいい。
では、土地のサーチのみを許すのか?
そうなったら、最早滅茶苦茶だ。
新たなルールを作れば、新たな問題が生まれる。
鼬ごっこだ。
月並みな結論になるが結局はプレイする環境に任せれば良いと思う。
しかし、逆説のようだが、その反面、多くの人がプレイする以上、共通のルールは必要である。
ラテン語を母体とする多くのヨーロッパ言語はラテン語のルールを各々の集団が追加及び削除したために違う言語になってしまった。
それらの言語は他の言語とは最早、通じることは出来ない。勿論、似ているのでわかるものもある。(ヨーロッパ言語の発生には諸説あるが・・・)
別にこのことが悪いことだとは思わない。
以上のように様々な「ルール」が乱立されてしまうと、統率者戦も同じようなことが起きないだろうか。
そして、統率者戦は言語ではない。
同じカードゲームとして競う以上、同じルールでなくては困るのだ。
その叩き台として公式がルールを提示してくれたのかもしれない。
新たな指針とするには良いのかもしれない。
ただ漠然と統率者戦のルールを模索するよりも、骨組みとなるようなものがあったほうが良いのは確かだ。
加えて、自分はこのルールでは4回程度しかやっていない。
まだまだいろんな発見はあるだろうし、感触だけで決め付けるべきでは無いのかもしれない。
しかし、個人的に疑問なのが、「《締め付け/Stranglehold》と《墓掘りの檻/Grafdigger’s Cage》がある状態」として紹介したことだ。
説明として「分かりやすさを重視」とも取れるかもしれないが、これらのカードを知らない人には全く意味がない。
むしろ、「禁止カード」という言葉を隠すために使われたとも取れる。
実際、「サーチカード全面禁止」+「リアニメイト系呪文禁止」+αのようなものなのだから。
結局のところ、個々人が工夫するしかない。
それは住み分けであったり、プレイングであったり。
「強いジェネラル」と「強いデッキ」は必ずしもイコールではない。
個人的には「強いジェネラル」や「強いデッキ」もプレイング如何では楽しむことを目的として色々な卓に参加できると思っている。
アピールをしても、そういったことを知らない人からは集中砲火を浴びることもあるが、それは仕方がない。
デッキも結局はプレイする人次第。
デッキによって戦うゲームである限り、統率者戦もプレイする人が大事であり、ルールだけが原因とは言えないのでは無いだろうか。
Grafdigger’s Cage / 墓掘りの檻 (1)
アーティファクト
クリーチャー・カードは墓地やライブラリーから戦場に出ることができない。
プレイヤーは墓地やライブラリーにあるカードを唱えられない。
ご存知、闇の隆盛で登場した強烈な墓地・ライブラリーからのクリーチャー対策。
VintageにおいてDredgeに対してはメインで積まれない限りは今まで通りということは以前書いた。
(http://battlecruiser.diarynote.jp/201201181903472002/)
おそらく、Legacyでも似たようなものだろう。
それでも、Dredgeが・・・ということはよく耳にする。
確かにそうなるかもしれない。
しかし、もし《墓掘りの檻/Grafdigger’s Cage》一枚でDredgeが衰退するような環境であれば、墓地やライブラリーから直接クリーチャーを出すカードが解禁されていいのでは無いだろうか。
具体的には《ドルイドの誓い/Oath of Druids》や《復讐蔦/Vengevine》型《適者生存/Survival of the Fittest》等。
→解禁したら、環境を席巻してまた禁止されても全く不思議ではないカード達だが・・・
だが、試験的に解除する可能性も無いわけではない!(←重要)
Dredgeがダメになったとしても、これらのカードは解禁すべきではないのか?
もし、解禁すべきでないとしたら、上記の挙げたような強力カードが禁止されている理由は、単に対策カードが無いということだけが理由では無いということになる。
勝てる(=強い)デッキが登場するたびに、そのデッキを想定してデッキを組まなければならないのはある意味必然とも言えるかもしれない。
そして、往々にしてあるのがそのデッキに対して有効なカードを入れることだ。
強いデッキに対し、対策カードを沢山詰め込むことが良い構築なのだろうか。
サイドボードが対策カードだらけになっていないだろうか。
もし、サイドボードが対策カードだけになっているとしたら、それは《ドルイドの誓い/Oath of Druids》や《適者生存/Survival of the Fittest》の強さを「対策カードの無さ」にあると言っていることにならないだろうか?
プレイングも含めた「サイドボーディング」ではないのか?
「特定の強力なカードに対する対策カードを積めばいい」。そうすれば勝てる。
これで構築がまかり通るような環境・プレイング・構築で良いのかは個人的に甚だ疑問がある。
しかし、こういったことも大切で、結果を出しているのも事実。
それか、もしかしたらWotCは《ドルイドの誓い/Oath of Druids》といった強力カードを解禁したいのだろうか・・・
一応集めておくか・・・
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